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翻訳はアート?浄瑠璃翻訳に挑む楽しさと難しさ

  • 執筆者の写真: Emi
    Emi
  • 2024年11月19日
  • 読了時間: 2分

更新日:2月20日


翻訳は、瞬発力を問うアートな競技なのかもしれない。


何をするわけでもない1日になるはずだった。


最近は、遅くまで時間を忘れて集中していたせいか、少し目が疲れている。

と言うのも、私はまたもや浄瑠璃の翻訳を始めてしまったのだ。

別に締め切りがあるわけでもなく、

仕事でもない。

誰かに頼まれたわけでもない。

完全に趣味としてやっているだけ。

それなのに、昨日1日遠ざかっていただけで、続きが知りたくてしかたがなかった。


そう、私は今、近松門左衛門の浄瑠璃に手を出している。




北野武監督が新作映画の記者会見で言っていた言葉が印象に残っている。

「お笑いはアスリートだ」と。


歳をとって瞬発力がなくなれば、お笑いに関する感覚も鈍くなる。

たとえ0.01秒の遅れでも、そのわずかな違いを自分自身で感じてしまう。

それが、お笑いがアスリートだという理由らしい。



それでいうと、浄瑠璃の翻訳も同じようなものだ。

浄瑠璃の魅力を引き出すための瞬発力と感覚。それらが研ぎ澄まされていないと、言葉が生まれない。


最後に訳したのはもう何年前になるだろうか。

あのときは近松半二の作品を2作手掛けたが、今度は本家近松だ。

それにも関わらず、ブランクができて私は錆びついてしまっている。




近松門左衛門の作品に触れて



今、私は必死にその感覚を取り戻そうとしている。


とは言っても、近松らしいリズミカルな言葉選びや、ひょっこり隠れている言葉遊びを見つけては、つい一人で楽しんでしまう。



そして、さらに時間がかかっているのは、AIで挿絵を作っているからだ。

慣れればもう少し早くできるかもしれないけれど、まだまだ時間はかかる。



今日はなにもしない!

ゆっくりとした1日にしよう!


朝そう決めたはずなのに、

気がつけば手には浄瑠璃本が…。



いやダメだ。

今日はオフらしい1日を過ごすのだと、

近松の世界から抜け出して、夫と犬と一緒に河川敷へ散歩に出かけたのであった。

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