パルクールの原点へ(第6章:父の哲学と自由の影)
- Emi
- 1月14日
- 読了時間: 5分
更新日:2月18日
静かな朝、新しい章の始まり
翌朝、楓は薄い朝陽に照らされる簡素な部屋で目を覚ました。
部屋に飾られた十字架や古びた棚に並んだ本が、戦後の生活の質素さを物語っている。窓の外には庭が広がり、朝露を含む草花が静かな光を放っていた。
「おはようございます。」
楓は居間に降りると、エレーヌがテーブルの上に硬いパンとミルクの瓶を並べているところだった。
「おはよう、楓。よく眠れた?」と、優しい笑顔を見せるエレーヌ。
「はい、とても落ち着けました。」
楓は少し緊張しながらも、家庭的な温かさを感じていた。
庭から聞こえる声が会話を遮った。ダビッドが叫んでいる。
「母さん、楓も来いよ!」
エレーヌは笑顔で楓にうなずいた。
「さあ、行ってらっしゃい。」
庭に出ると、ダビッドが倒木を踏み台にし、跳び上がる練習をしていた。
その動きは軽やかで美しく、朝の冷たい空気の中でも、彼の情熱が伝わってくるようだった。
パルクールの基礎を学ぶ!ダビッドの指導
「まずは基本からだ。」
ダビッドは倒木を指しながら、慎重にその上を歩くデモンストレーションを見せた。
「派手な動きばかりが注目されるけど、本当に重要なのは効率と安全。無駄を削ぎ落とした動きこそが、価値のあるものなんだ。」
楓は倒木の上に立ち、慎重に一歩を踏み出したが、すぐにバランスを崩して地面に足をついてしまった。
「全然ダメだ……。」
ダビッドは笑いながら肩をすくめた。
「最初からできる人なんていないよ。それに、挑戦し続けることが一番大切なんだ。」
何度も挑戦を重ねた楓は、次第に倒木の端まで歩けるようになった。達成感に満ちた表情を浮かべる楓に、ダビッドは微笑みながら言った。
「できるまで挑戦する。それがこの動きの基本だ。」
楓はその言葉に静かに頷いた。挑戦の中に成長がある。
その達成感は、あそびフェスで感じた達成感と重なるようだった。
新しい仲間たちとの出会い
午前の練習が終わるころ、庭に聞き慣れない声が響いた。
「おい、ダビッド! また練習してるのかよ!」
3人の少年たちが近づいてきた。長身で精悍な顔つきのリュカ、明るい表情のトマ、そして華奢で冷静なジャン。
「誰だ、この子?」
リュカが楓に目を向ける。
「日本から来た楓。今は友達さ。」
と、ダビッドが紹介すると、トマが興味深そうに楓を見た。
「へえ、日本から来たのか。それは珍しいな。」
リュカは楓を一瞥し、
「あまり邪魔するなよ」と、冷たく言い放つ。
ジャンが「リュカはいつもこんな調子だ」と、場を和ませようとした。
生じる火種:ダビッドとリュカの対立
練習が進む中、リュカとダビッドの間には微妙な緊張感が漂い始めていた。
午後の陽光が古びた石垣を赤く染め、空気には土と草の匂いが混じっている。
トマとジャンが木箱を移動させながら楽しそうに笑い合う一方で、楓は離れた場所から2人を見守っていた。
リュカは高い横木に勢いよく飛び乗ると、まるで獣のような動きで素早く横に進んだ。
次の瞬間、バランスを取りながら横木の先端に逆立ちの姿勢を作り上げる。その動きは息を呑むほどの迫力があり、トマが驚きの声を上げる。
「すごいじゃないか、リュカ!」
「さすがだな!」
ジャンが拍手を送り、トマも感嘆の声を上げた。
しかし、ダビッドは無言でその様子を見つめるだけだった。
リュカが地面に降り立つと、その視線に気づき、挑発するように口を開いた。
「どうだ? これが俺の動きだ。お前はどうだ、ダビッド?」
ダビッドは冷静に視線を向け、短く答えた。
「いい動きだな。」
「……それだけか?」
リュカが声を強める。
「父親の動きの真似をして満足か? 自分だけのスタイルを作り上げる気はないのか?」
その言葉に、トマとジャンも動きを止めた。楓は息をのむように2人を見守る。
ダビッドはゆっくりと深呼吸し、冷静な声で言った。
「父さんの動きには理由がある。それを真似だと思うなら、お前は何も理解していない。」
リュカは苛立ったように笑い、肩をすくめた。
「理由? 言葉でごまかすなよ。俺にはただ、怖くて冒険を避けてるように見えるだけだ。」
楓の視線がダビッドに移る。普段冷静な彼の眉がわずかに動き、感情が揺れていることが分かった。
「怖くなんてない。」
ダビッドの声が少しだけ低くなる。
「動きには意味がある。危険を楽しむだけが全てじゃないんだ。」
リュカはふっと笑いながら横木を指差す。
「じゃあ、その意味とやらを見せてもらおうか。」
ダビッドは一瞬、静かにリュカを見つめていたが、やがて言葉を口にした。
「分かった。」
ダビッドは横木に向かって歩き出した。彼の動きは焦りも力みもなく、まるで風が流れるようだった。
軽く助走をつけて飛び乗ると、一瞬の静止の後、リュカとは違う方法で横木を渡り始める。
リュカのような派手さやスピードはなかった。だが、動きには確実なリズムがあり、一つひとつが周到に計算されているのが明らかだった。横木を越え、降りる瞬間には膝を柔らかく使い、まるで地面に吸い込まれるような着地を見せた。
「それが意味のある動きってわけか。」リュカが言った。
「そうだ。」ダビッドは短く答えた。
楓は2人の間に漂う空気を読み取りながら思った。リュカの言葉には批判だけではなく、彼なりの尊敬と期待が混じっている。
だが、それを伝える方法が不器用なのだ。
ジャンが間を取り持つように声を上げた。
「まあまあ、どっちもすごい動きだったよな! 俺たちはどっちも学べるってことだろ?」
トマも笑顔で言った。
「そうそう。お互い刺激し合えば、もっと面白くなる!」
2人の言葉で場の空気は和らいだが、リュカとダビッドはそれぞれ反対方向に歩き出す。
楓はリュカの背中を見送りながら、静かに言葉を漏らした。
「どちらも、きっとお互いを認めてるんだと思う。だからこそぶつかるんだね……。」
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